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2007年10月26日 (金)

食料を輸入に頼る危うさ

食料は日本でつくらなくてよい、輸入すればよいのだ、という乱暴きわまる意見を言う経済学者がいて、それに賛同する人たちがかなりたくさんいるようだ。

彼らの説はこうだ。
日本で生産するよりはるかに安く生産できる国が、世界にはいくつもある。
安いところから買うのが一番合理的だ。何も日本でつくることはない。農業の保護のために税金を使うなんて無駄遣いもいいところだ。農地が荒れようが、田舎に人が住まなくなろうが、気にすることはない。
日本は、世界的に見て他より安く生産できる品物をつくって輸出し、その金で、自国で安く生産できないものを輸入すればよい。得意なものをつくって売り、不得意なものは買う。
これが分業というものだ。経済的に理にかなったやり方だ。食料も例外ではない。食料自給率なんてナンセンス、そんなことを心配する必要などない。

何という愚かさか。

安く買えるといっても、それは今言えることで、先はわからない。状況は常に変化する。たとえ契約していても、状況が変われば、相手は契約を守らないだろう。
値段どころか、供給そのものを断られることもあり得る。
こちらが、輸入に頼って、自ら食料を生産しない体制になってしまえば、相手がこちらの足元を見てくるのは間違いない。
いったん、農地が荒れてしまい、農業に従事する人がいなくなれば、元に戻すのは非常にむずかしい。大変な時間と労力、金が要る。

日本が多数の植民地を持つ国になるか、世界連邦ができて世界が一つの国になるかしないかぎり、分業論は成り立たない。

彼ら、極端な自由貿易信奉者・規制緩和論者・市場原理主義者の言うとおりにしたら、とんでもないことになることは必定である。
危ない、危ない。

関連記事: 「超低賃金国からの輸入品には特別関税をかけよ
        「過度の貿易自由化は日本に害をもたらす

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2007年10月19日 (金)

臓器移植は禁止すべきである

臓器移植とは、心臓、腎臓、肝臓、肺などの病気にかかっている人を助けるために、他人の臓器を取り出して、病気の臓器と入れ替える治療法である。


問題は、他人の臓器が新鮮なほどよい、というところにある。


臓器提供には、生体からの提供、脳死後の提供、心臓停止後の提供の三つがある。

                         

移植手術をする医師、提供を受ける患者にとって、一番望ましいのは、生きている人間から取り出したものである。新鮮なほどいいからである。


そのために、おそろしいことが起きる。


権力者、特権階級の人間が、そうでない無力な人間を殺し、あるいは傷つけて、無理やり、その臓器を奪う。

金持ちが貧乏人から臓器を買う、あるいは金を貸して返せなくなった者から借金のかたとして無理やり臓器を提供させる。

提供を渋る配偶者や親、子、兄弟姉妹、友人・知人から、情に訴えたり、強要したりして臓器の提供を受ける。

新鮮な臓器を手に入れるために、事故や病気で死にかけている人の救助・治療を十分に尽くさず、早く脳死や心臓停止に至らしめる。


もちろん、本人が強く辞退したにもかかわらず、親子間、夫婦間、兄弟姉妹間などで、生体からの臓器提供がなされる、美しい話も少なくはない。

しかし、その美しい話も、目を臓器提供を受ける者に転じた時、それは醜い話だとも言える。

なぜなら、自らの病気を治すために、他人を傷つけ、場合によっては命を奪うことになるかも知れないのに、よくそんなひどいことができるものだ、自分勝手な人だ、実に醜い、とも考えられるからである。


なまじ臓器移植などという治療法があると、人間は弱いもので、人に何と言われようと、治りたい一心、助かりたい一心で、手段を選ばず、他人の臓器を欲しがるものである。


臓器移植は,世界的に禁止すべきである。研究も禁止したほうがよい。


ただし、眼の角膜移植は例外である。角膜は、そんなに新鮮でなくとも大丈夫だから、おそろしいことは起きない。

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