2008年6月17日 (火)

死刑執行 鳩山法相を支持する

私は、昨年9月29日に、鳩山法相が「死刑執行を法相の命令でなく、自動的にすすめられるようにしたい。そのための勉強会を設置したい」と発言したとの新聞報道を受けて、
「鳩山法相をすぐに罷免せよ」と題する意見を発表した。

法が、なぜ法務大臣に死刑執行の命令をくだす権限と責任をゆだねたのか、それがわからぬ者を法務大臣の職につけてはいけない、と考えたからである。

しかし、その後の鳩山法相の死刑執行命令の内容を見ると、十分に自らの職務を自覚し、責任を持って判断し、見識と勇気をもって決断したものと思われる。

したがって、私は、今、ここで前言を撤回し、死刑執行について、鳩山法相への支持を表明する。

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2007年10月19日 (金)

臓器移植は禁止すべきである

臓器移植とは、心臓、腎臓、肝臓、肺などの病気にかかっている人を助けるために、他人の臓器を取り出して、病気の臓器と入れ替える治療法である。


問題は、他人の臓器が新鮮なほどよい、というところにある。


臓器提供には、生体からの提供、脳死後の提供、心臓停止後の提供の三つがある。

                         

移植手術をする医師、提供を受ける患者にとって、一番望ましいのは、生きている人間から取り出したものである。新鮮なほどいいからである。


そのために、おそろしいことが起きる。


権力者、特権階級の人間が、そうでない無力な人間を殺し、あるいは傷つけて、無理やり、その臓器を奪う。

金持ちが貧乏人から臓器を買う、あるいは金を貸して返せなくなった者から借金のかたとして無理やり臓器を提供させる。

提供を渋る配偶者や親、子、兄弟姉妹、友人・知人から、情に訴えたり、強要したりして臓器の提供を受ける。

新鮮な臓器を手に入れるために、事故や病気で死にかけている人の救助・治療を十分に尽くさず、早く脳死や心臓停止に至らしめる。


もちろん、本人が強く辞退したにもかかわらず、親子間、夫婦間、兄弟姉妹間などで、生体からの臓器提供がなされる、美しい話も少なくはない。

しかし、その美しい話も、目を臓器提供を受ける者に転じた時、それは醜い話だとも言える。

なぜなら、自らの病気を治すために、他人を傷つけ、場合によっては命を奪うことになるかも知れないのに、よくそんなひどいことができるものだ、自分勝手な人だ、実に醜い、とも考えられるからである。


なまじ臓器移植などという治療法があると、人間は弱いもので、人に何と言われようと、治りたい一心、助かりたい一心で、手段を選ばず、他人の臓器を欲しがるものである。


臓器移植は,世界的に禁止すべきである。研究も禁止したほうがよい。


ただし、眼の角膜移植は例外である。角膜は、そんなに新鮮でなくとも大丈夫だから、おそろしいことは起きない。

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2006年5月30日 (火)

子供に農業を教えよう

5月29日付日経朝刊5面、中村桂子氏へのインタビュー記事「農業こそ小学校で必修に」を読んだ。
まさに、我が意を得たり、である。私も前々から、そう思っていた。

動物を飼うことをすすめる人もいるが、成果をあげることもあるけれど、うまくいかないことの方が多い。
動物を虐待するようになったり、弱いものいじめをするようになったりする、副作用が出て、驚くことがある。

その点、植物を育てること、特に農作物を育てることは、子供にとても良い影響をおよぼす。気性がおだやかになる。やさしい子になる。計画的に物事をすすめるようになる。忍耐力が養われる。いいことばかりだ。悪い副作用は出ない。

同じ生き物でも、動物を育てるのと、植物を育てるのとでは、大違いである。植物を扱うことが子供の教育には最適である。花もよいが、食べるもの、農作物が一番だ。

小中学校で、ぜひ、農業を教えてほしい。

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